あの日の記憶…
歴史に残る3.11の2年目いかが過ごされましたか?トクナガです。
あの日、私は何をしていたか思い出して書いてみよう。
2011年3月11日(金)は、某区役所の入札&開札の日でした。
その物件は当然取りに行き、取れるものと思って札を入れた。
額はダンピング防止で設定されている(公表はされていない)、最低価格制限ギリギリを狙って入れたのだった。
お昼前に結果が発表される。
当社の札は……
他社に持っていかれたorz
自信を持って入れた札だったので、心穏やかでなかった。
自信を持っていた自身が情けなかった。
そして落ち込みながら昼が過ぎ、15時になったら区役所へ行き内容を確かめようとしていた頃、あの大きな地震が起きた。
自信・自身・地震
そんな繋がりの一日であった。
その日のブログ「大地震」を振り返って読んでみる。
大きな揺れに驚いている感が出ている。
その前後の記事も読み返せば「ああ~あんなだったな」と、今でも確かに蘇ってくる。
3.11の夜中、市ケ谷駅に取り残された叔母を車で迎えに行き、4時間掛かってようやく辿り着いたこと。
4kmの距離だよ。それが4時間掛かった。
走った靖国通りは車で溢れていた。
沿道の歩道には、帰宅困難者と呼ばれるようになった人達がいっぱい歩いていた。
自宅はありとあらゆる物が倒れ、ガラスが割れ、それを取り除く際に手を切り、血だらけになって寝る場所だけ確保した。
その時写した部屋の状況がこれだ。
写ってはいないが、きちんと閉めて出掛けたのに、バルコニーへ出る掃出しのサッシュは、クレセントが外れて開いていた。
またこれも写っていないが、帰宅し玄関ドアを開けるとPCラックや下駄箱などが倒れ飛散し、部屋に辿り着くにはそれらをまず片付けなければ上がれなかった。
コンビニから商品がなくなった。
TVからCMがなくなった。
ぃゃ、ACのCMばかりになった。
バカって言えば、バカって言う。
…そう、あれだ。
今ではどうだろう。
今日は2年目に当たるので、TVも特番のようなものを放送したりしている。
私が携わっている現場でも、14:40頃に全作業を中断し、全員が敷地中央に集まり、14:46分から1分間の黙祷を捧げた。
震災の日とでもなければ、思い出すことも少なくなっている感もする。
しかし記憶は曖昧ではない。
あの恐ろしい揺れや、身近で起きた出来事、TV画面で見る津波など、忘れることは出来ない。
阪神淡路大震災から18年目となった1.17に書いた「その年、30歳。」の記事。
東日本大震災から2年目となった今日、改めて書いておこう。
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せめて震災の日には「あの日」を思い出そう。
そして「あの日」「あの時」、自分に何が出来て、何が出来なかったかを思い出そう。
2年前の東日本大震災すら、忘れかけ始めているのではないか?
3日分の飲食料は用意していますか?
家具の転倒防止器具は付けていますか?
近所の避難場所を把握していますか?
…自分第一主義ならば、自分の事は自分で準備しておこう。
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こんな日にくだらんバラエティ番組など不要だと思うトクナガなのでした。
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